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アナスタシア スティグマータ/聖痕 閑話休題 [閑話休題]

アナスタシア スティグマータ/聖痕 閑話休題

去る2月16日(月)の夜にケーブルテレビで、シネマシアターを観ました。


その題が「スティグマータ/聖痕 (1999) 」でした。

このような不思議な現象については、本ブロガーは、
数十年前から「ファティマの予言」に興味を抱き、
それに関連した本や資料、挙句の果には、

ポルトガルのファティマ、
スペインのガラバンダル、
フランスのルルドとヌベール

を訪問した経緯があります。


この映画は、単なる娯楽として観ていましたら、
スティグマータを受けている若い女性が、突然トランス状態になり、
アラム語(古代の言語)で、イエスのメッセージを白い壁に書き出し、

その中心的なメッセージが「神はあなたの内に在る」ということでした。


その場面で非常に感動し、
これはアナスタシアのシリーズを通して、伝えられていることで、
「創造主は人間に神の一部を組み込みそして『自由』というものを与えている」
ことと同じだと思いました。


このアラム後の言葉は、現在では、聖書の外典として有名な
「トマスによる福音書」にもあるとこの映画で語っていました。

しかし、この言葉は、バチカンや英国国教にとっては、
「不都合な言葉」ですので、今日も認められてはいません。


このような背景では、もちろん「アナスタシアの言葉」も彼らは認めないでしょう。

認めないのですが、アナスタシアが言っているように、
自らが傷つき、自滅の道を辿っていくことになるのではないでしょうか。


ちなみに、この映画のあらすじは、以下の通りです。
 
パトリシア・アークエット主演のオカルト・スリラー。

キリストが負った5つの傷を示す聖痕“スティグマータ”。

突如その傷が現れた女性を襲う、未曾有の恐怖を描く。ガブリエル・バーン共演。

ピッツバーグに住む美容師フランキー(パトリシア・アークエット)は、
南米を旅した母-からお土産のロザリオを贈られた。

それから数日後、バスタブでくつろぐ彼女の肉体に激-痛が走った。

両手首には太い杭が貫通したような穴が開き、鮮血がほとばしる。

それは<-スティグマータ>の始まりであった。

バチカンから派遣された神父アンドリューは、
彼女に現れた聖痕が真実か否かを調査しはじめる。

この超常現象の調査を進めていたバチカンの
アンド-リュー神父(ガブリエル・バーン)は、
5つ目の聖痕が現れる時が彼女にとっての運命の-ときだ
と悟っていた──。

2012/09/28 に公開


ユーチューブに一部の宣伝映像があります。
https://www.youtube.com/watch?v=UdZgSb7ZZ6s


また、「トマスによる福音書」
(以下はウィキペディアからの抜粋です):


『トマスによる福音書』(トマスによるふくいんしょ)は、
1945年にエジプトで見つかった『ナグ・ハマディ写本』群に含まれていた文書で、
114の文からなるイエスの語録集である。

本文中に使徒トマスによって書き記されたとあるので、この名がある。


序 これは、生けるイエスが語った、隠された言葉である。
そして、これをディディモ・ユダ・トマスが書き記した。

1 そして、彼が言った、「この言葉の解釈を見出す者は
死を味わうことがないであろう」


7 イエスが言った、「人間に食われる獅子は幸いである。
そうすれば、獅子が人間になる。そして、獅子に食われる人間は忌まわしい。
そうすれば、人間が獅子になるであろう」


77 イエスが言った、
「1 私は彼らすべての上にある光である。

私はすべてである。すべては私から出た。

そして、すべては私に達した。

2 木を割りなさい。私はそこにいる。石を持ち上げなさい。
そうすればあなたがたは、私をそこに見出すであろう」


105 イエスが言った、「父と母を知るであろう者は、
娼婦の子と呼ばれるであろう」


108 イエスが言った、「私の口から飲む者は私のようになるであろう。
そして、私もまたその者になるであろう。
そして、隠されていたものがその者に現われるであろう」


114 シモン・ペテロが彼らに言った、
「マリハムは私たちのもとから去った方がよい。
女たちは命に値しないからである。」

イエスが言った、「見よ、私は彼女を(天国へ)導くであろう。
私が彼女を男性にするために、彼女もまた、
あなたがた男たちに似る生ける霊になるために。

なぜなら、どの女たちも、彼女らが自分を男性にするならば、
天国に入るだろうから」


様々な見解:

正統派教会側の歴史的・教義的立場から論ずると、
「全能の父なる神の独り子・イエス・キリストが(人々の罪を贖って)死に、
復活し、天に昇り、やがて再臨する」とされ、

この父なる神とイエス・キリストに対する
「信仰」及び倫理的「行為」(律法)によって、

また救済機関としての「教会」を通じて
人は救われるという救済観を持っている[11]。


これに対しトマス福音書を含むグノーシス派は、
正統派教会の教義に対して以下の見解を持つ:


1.旧約聖書で天地を創造した造物主を至高者の下に置き、
またイエスについても、その肉による復活を認めない。

2.至高者に由来する本来的自己についての
「認識」(グノーシス)による救済を最重要視し、グノーシスを通じて、
造物主への信仰や律法など倫理的行為、
および教会の権威から解放されなければならないと説く。

3.グノーシス各派により程度の差はあれ、
「信仰」、「行為」、「教会」(および教会を担う聖職者)に
絶対的な権威を認めない。


さあ、いかがでしょうか。

とにかく、「アナスタシア」の「Ringing Cedar of Russia」シリーズ
から学ぶことがたくさんありますね。

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